彼はヴォルテエルの家の窓からいつか高い山を見上げてゐた。氷河の懸つた山の上には禿鷹の影さへ見えなかつた。が、背の低い露西亞人が一人、執拗に山道を登りゞけてゐた。
ヴォルテエルの家も夜になつた後、彼は明るいランプの下にかう云ふ傾向詩を書いたりした。あの山道を登つて行つた露西亞人の姿を思ひ出しながら。
誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匀のする電氣機関車だ。
やぶちゃん版芥川龍之介詩集
http://homepage2.nifty.com/onibi/akutagawasi.html
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レニン第三
誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匀のする電氣機関車だ。
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三十三 英雄
彼はヴォルテエルの家の窓からいつか高い山を見上げてゐた。氷河の懸つた山の上には禿鷹の影さへ見えなかつた。が、背の低い露西亞人が一人、執拗に山道を登りゞけてゐた。
ヴォルテエルの家も夜になつた後、彼は明るいランプの下にかう云ふ傾向詩を書いたりした。あの山道を登つて行つた露西亞人の姿を思ひ出しながら。
誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
誰よりも理想に燃え上つた君は
誰よりも現實を知つてゐた君だ。
君は僕等の東洋が生んだ
草花の匀のする電氣機関車だ。
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レニン第一
君は僕等東洋人の一人だ.
君は僕等日本人の一人だ。
君は源の賴朝の息子だ。
君は――君は僕の中にもゐるのだ。
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レニン第二
君は恐らくは知らずにゐるだらう、
君がミイラになつたことを?
しかし君は知つてゐるだらう、
誰も超人は君のやうにミイラにならなければならぬことを?
(僕等の仲間の天才さへエヂプトの王の屍骸のやうに美しいミイラに變つてゐる。)
君は恐らくあきらめたであらう、
兎に角あらゆるミイラの中でも正直なミイラになつたことを?
松岡正剛の千夜千冊
448夜
桶谷秀昭 『昭和精神史』
by 松岡正剛
http://1000ya.isis.ne.jp/0448.html
話は高畠素之が『資本論』を訳した大正12年から始まる。
高畠はマルクス主義者ではなく国家社会主義者で、その翻訳完成を祝う会も、建国会の上杉真吉、石川三四郎、江口渙、小川未明らと、吉野作造、平野力三たちだった。
同じころに『資本論』の翻訳にとりくんでいたのが生田長江で、生田が『ツァラトゥストラ』、『神曲』のあとに『資本論』を訳したことも、大正が昭和に向かうことの何かを象徴していた。桶谷はその生田には予言的思想家の資質があって、そのころ「超近代的な思想、即ち東洋的日本的伝統への回帰が濃密になり、従来の近代思想とからみあって、一つの流れをなして急転直下するであろう」と書いていたことに注目している。
もっと象徴的なのは、芥川龍之介が遺稿のなかで『レニン』という詩に、「君は僕達の東洋が生んだ、草花の匂いのする電気機関車だ」と書いたことである。昭和4年、世界恐慌の波が日本に押し寄せると、昭和の意識の運動はまずレーニン主義を絶対思想として受け入れようとする社会主義的な動向から始まったからだ。